虱から見たチベット現代文学


  ごく些細なものが硬直した社会制度やひずみ、
   人々の隠れた本性を暴き出すおかしみ 
               
三浦順子・文

このコーナーではこのところ毎年のように翻訳されつつあるチベット現代文学がどのようなものであるか、ごく簡単に皆様にご紹介したいと思います。とはいえ漠然と紹介するより、何らかの切り口があったほうが面白いでしょうから、今回は「チベット現代文学に登場した虱たち」という観点で語りたいと思います。


悲惨な生活の象徴としての虱

 虱というとなにはともあれ貧しく困窮した生活の象徴ですね。ツァンニョン・ヘールカの『ミラレパの伝記』(15世紀)には、父親亡き後、強欲なおじ一家に財産を奪われ、下僕同然の扱いを受けたミラレパ母子が「ろくな衣食もあてがわれなかったので、肌は蒼ざめ、身は細り、金やトルコ石できらびやかに飾っていたおさげも、今や細って色褪せ、虱と卵の巣と化した」と記されています。それではここで、チベット現代文学の開祖トンドゥプジャの代表的短編「霜にうたれた花」(勉誠出版刊『ここにも激しく躍動する生きた心臓がある』所収)を見てみましょう。この短編は幼い時から相思相愛だった男女のういういしくも切ない恋の行方を描いたもので、運命のいたずらによって恋人から引き裂かれ、故郷に戻ることのできなくなった娘は、老いた尼僧のもとに身をよせ煩悶します。
雪の中や人里はなれた場所での苦行生活に馴染めないのか、ラキは目に見えて憔悴していったよ。それまで瑞々しかった笑顔は消え失せ……りんごのような両頬はこけて蒼ざめていた。おさげの中ではしらみと卵がたかり放題、楽しく宴の席をひらいている始末
最後には二人が再び結ばれるであろうことを示唆しつつ物語は締めくくられるのですが、15世紀に書かれた『ミラレパ伝』と、20世紀後半に書かれた「霜にうたれた花」の日本語訳を並べてみるとけっこう表現が似ている気がします。

虱すらも有情のひとり、殺生への禁忌

 人もヤクも小さな虫もすべては有情の一員、今、人として生まれてきていても、来世、犬や馬になって生まれ変わるかもしれない、いや、今生で自分が出会っている犬や虫も、過去生の自分の父や母であったかもしれない。ならば、すべての生き物に等しく慈愛の心をもって接し、危害を加えるようなことはあってはならないというのがチベット人の仏教観です。この仏教観からすると虱一匹ひねりつぶしただけでも、人ひとり殺したのと同じ大罪を犯すことになります。
 文革直後の、貧しくはあれど村人たちがひとつの共同体意識をもって生きることができた1980年代と、それらすべてが瓦解しつつある2000年代のチベットを、四人の子供の成長譚に重ね合わせて描いたラシャムジャの長編『雪を待つ』(勉誠出版)には以下のような一節があります。
 主人公である村長の息子は、村で一番偉いのは誰? と長老格のレルパ爺さまに問いただします。もちろん自分の父親が一番偉いと言ってほしいわけですが、爺さまはそう答えてくれません。少年はとっさに爺さまの長髪から虱を一匹とって、僕のお父さんが一番偉いと言ってくれなければこの虱を殺すと脅迫します。殺生を厭うレルパ爺さまはたちどころに少年の言い分を認めてやります。
ぼくは自分の意見が通ったので虱を殺す必要もなくなり、虱をレルパ爺さまの頭に戻そうとした。すると爺さまは……山羊皮の着物の端っこから毛を少しちぎって虱をくるむと……「この虱を安全なところに放ってやりなさい」と言うのだった
なんとものどかなほほえましい一節ではありますが、伝統的なチベット仏教精神のありかたが実にうまく描きだされていますね。
 20世紀初頭にチベットに入った河口慧海も『チベット旅行記』に、
こういう大罪〔男色などの破戒行為〕を犯して恬として愧じないところの人間がです、かえって虫を殺したり虱を殺したりすることを大いに恐れてしないような事もあるです
と記していますから、こうした仏教精神が昨日今日に急に現れたものでなく、長い歴史をかけて培われてきたものであることがよくわかります。
 

ごく些細なものが権力闘争に用いられるおかしみ

権力や支配体制に対する風刺と諧謔に満ちた作品を次々と生み出してきた作家タクブンジャには「道具日記」(東京外国語大学出版会刊『ハバ犬を育てる話』所収)という短編があります。大学出たての青年リクデンは小学校に赴任したものの、「道具」よりも「権力」が大切と悟り、恋人に唆されるまま、手練手管、権力構造の上部に這い登ろうとします。そこで起きたのが虱事件です。リクデンは全教職員を呼び出して会議をぶちあげます。
「他でもない、今日……某クラスの生徒某の頭において一匹の虱が捕獲されました。このことから、いまだ発見されていないとはいえ、大量の虱が存在することは確実です。そこで、私はこの一件をあえて郷政府に報告いたしました。郷政府もこの一件を非常に懸念し、郷長は郷政府と教育委員会を……特別招集して、重要な演説をされたのです。さらには私たちの学校への批判の言葉も口にされました」

 大山鳴動して鼠一匹という諺がありますが、「道具日記」ではその逆で、主人公はたかだか虱一匹をネタに騒動を起こして、上司である校長をまんまと引きずり下ろすことに成功するのです。

虱まみれの愚者の放浪譚

ツェラン・トンドゥプはタクブンジャと並ぶチベット現代文学を代表する作家であり、その作品は、民話仕立ての「地獄堕ち」から生態移民の実態をまっこうから描き出した「黒狐の谷」、エイズ問題をとりあげた「あるエイズ・ボランティアの手記」と、実に多彩です。特に社会のかかえる問題や不正に切り込むときには、一段と筆の冴える作家と言えましょう。
 彼の短編・中編はどれも面白いのですが、その中に虱の群れがわんさと登場する「ラロ」という中編があります(勉誠出版近刊『黒狐の谷』所収)。この中編に出てくる虱の描写たるや、微に入り細を穿ち、一度読んだら忘れがたい印象を残します。

 その日は天気もよく、ラロもどういうわけか上機嫌だった。私たち囚人は全員、ズボンのベルトはおろか、靴紐までとりあげられていたので、何をするにも左手でズボンのへりをつかみ、右手でするしかない。そこでラロも左手でズボンをつかみ、右手で皮衣を脱いでちょっとばかり太陽にさらしたところ、雨後のキノコのごとく虱の大軍がわらわらと毛先にわいてきて、いろいろな芸をみせたものだから、示し合わせたわけでもないのに、みなこぞってラロの皮衣のまわりに集まり「あっちだ、あっちだ」「こっちだ、こっちだ」と指をさして捕まえようとした。ラロは凱旋将軍よろしく、沈着冷静に、「慌てるな、慌てるんじゃない」と言いながら、大きな虱を何匹もまとめて捕まえると口の中に放り込んだ。私はおぞけをふるい「おい、ラロ、そんなことをするなよ」と呼びかけたが、ラロは「昔のことわざにはな――『虱の血を食らっても何の役にもたたないが、音だけはたまらない』」とのたまいながら、他人の手のなかにあった虱をとって、プチ、プチと食べるのであった。

「ラロ」雑誌掲載時の挿絵
社会からはみだした愚か者が、社会のきまりごとを無視して引き起こすさまざまな騒動を描くことで、硬直した社会制度やひずみを批判し、それをとりまく人々の隠れた本性を暴き出すという小説の形式がありますが(魯迅の『阿Q正伝』など)、「ラロ」はその典型ともいえるものです。頭のちょっと足りないラロは幼くしてみなし子となり、流されるまま家畜追いとなったり、坊主になったり、時に罪もないのに拘置所暮らしを強いられたりします。そしてやっと見つけたささやかな幸せ。だがさらに過酷な運命が彼を待ち受けているのでした。物語の終わり、村人たちがラロのために行ってくれた行為に、読者はほっとした思いを覚えるに違いありません。とはいえ、この物語が書かれたのは1990年代初頭、物語の時代背景もラシャムジャの『雪を待つ』の前半部と重なるとみられ、もしこの物語が村の共同体精神が瓦解しつつある21世紀になって書かれたなら、「黒狐の谷」と同様、もっと閉塞感と絶望感あふれるものになっていたに違いありません。


芥川龍之介の短編に描かれた「虱」

ちなみに、日本にも芥川龍之介作の「虱」というごく短い短編があります。長州征討に向かう軍船を舞台にわらわらと湧いてくる虱に苛立つ藩士たち、ついには刃傷沙汰も起きかけて……という話ですが、短いながらも異様な緊迫感あふれた短編です。ツェラン・トンドゥプは「ブムキャプ」という短編(勉誠出版近刊『黒狐の谷』所収)のエピグラフにわざわざロシアの諺を引用してくるほど(これはゴーゴリの喜劇『検察官』へのオマージュでもある)、広く海外の小説を読み、芥川の「蜘蛛の糸」もチベット語に翻訳しているそうですから、是非この「虱」を読んでその感想を聞かせてもらいたいものです。




虱や蚤を殺した罪が清められるよう祈る文言と真言が記されたマニ石(撮影:星泉)



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