2021年5月4日火曜日

チベットの物語を訳すことと描くこと (4)

 


ダブルインタビュー連載最終回は、翻訳と創作の裏側をめぐるお話です引き続きこの3人が聞き手となってお話を伺っていきます。今回も蔵西さんのイラストつきです。

 
◇◇
 
E:星先生は毎日、通勤電車でiPhoneを使って翻訳されていたとラジオでもお話されていましたね。それから、Excelファイルで毎日翻訳された文字数をカウントして管理されていたと聞いて、私も真似してやってみました。短い小説なんですが、やっぱり視覚化されると、1時間で700文字くらい訳せるんだな、とか時間配分や目安になって捗りました。

星:それはよかったです。あのファイル、(東京外国語大学のインタビューを設定してくれた)広報担当者に見てみたいと言われたので送ったら、結構な大きさで掲載されてしまってびっくりしました(笑)。ゼロが並んでいるところがあるのもリアルですよね。忙しくて1文字も翻訳できなかった日が何日もあって。

E:翻訳を進める際に工夫していることはありますか?

蔵西:知りたい。

星:それは毎日やるだけですね。毎日やることでテンションがあがる、あがったままになるという。それと『白い鶴よ』に関しては、2年以内に出版しないといけない、という契約があったんです。これは本当に怖いことで、もし守れなかったら関係者のみなさんが困るんだからと自分に言い聞かせていました。
 
あとはやっているうちに楽しくなってくるというか、どんどん場面が切り替わるじゃないですか。章が短くてポンポン話題が切り替わっていくので、そこまでたどり着いたらもう終わりだ、明日は新しい章だな、と思うだけで先にいけましたね。
 
そういえば英語の世界が心底うらやましいとは思ったかな。英語はいくらでも調べることができますよね。チベット語だとそうはいきませんから。著者はいないので質問こそできなかったけれど、英語なのでインターネット上にリソースが転がっている。これは本当に助かりました。

W:翻訳で心折れそうな時ってありますか? すごく辛いな、と思う時など。

星:辛いというより、翻訳していてわからない時、著者が生きていたら質問できるのに、と残念には思っていました。
 
わからない時はとにかく調べて、最終的にわからなかった銃の名称などは、カナ表記にして出しました。他に悩んだこととしては、チベット語がそのまま英語風の表記で書かれていることでしたね。そういうのをどう処理するかはかなり悩みました。

W:なるほど。ありがとうございます。翻訳はエネルギーの要るお仕事なんだろうなと思っていたので、お伺いしてみました。

星:翻訳をしていると、ほんの少しでも普段の仕事から逃げられるのが、個人的にはよかったですね。翻訳をしている時間は楽しいので、ついついやりたくなる。だから翻訳が進むというわけです。蔵西さんはまさに漫画を書くことがお仕事だから、逃げたりできないと思うんですが、私は翻訳を逃げ場にしていました。そこは何か生み出す人とは違う、気楽なところかもしれませんね。

蔵西:先生、すごくお忙しいと思いますし、頭の切り替えが大変だと思うんですけど、通勤電車の中ということで切り替えられたんですか? 信じられない、と思って。電車に乗ってるとぼーっとしちゃったりすると思うし。

星:ずっと続けているとやってない方が変な感じがしてくるというのもありました。あと幸運なことに、というのもおかしいんですが、ちょうど足を骨折したので通院してたんですよ。それで病院の長い待ち時間があって、この時間は翻訳に専念できる、ラッキーと思っていました。


W:先程のお話で、「楽しいから翻訳できる」とおっしゃっていましたね。翻訳の楽しさってどんなところにあるのでしょうか?

星:何かに近づいていく、迫っていく時の感覚が好きなんですよ。その感覚と翻訳をするというのは重なるので、そこが楽しいのかもしれません。

W:何かに迫っていく感覚。

星:自分でいいなあと思うものに近づいていって、迫っていく時の感覚ですね。そこで迫るためにあれこれ工夫をするのは楽しい作業です。

W:楽しい作業だったということですが、すごく大変なお仕事だったのかなと思います。なぜそんなに頑張れるんだろうなあというのが、素人目線からありまして。

星:それは何といっても作品が素晴らしかったからですね。それだけです、本当に。どうしても世に出したほうがいいと思ったので。
 
翻訳の楽しさについて主にお話しましたが、裏取りはかなり大変でした。歴史大河小説ということで扱っている事象も幅広く、調べまくりました。
 
それから、これは私のやり方が悪いんですが、再校まで進んだところでかなり大きな訳し漏れが発覚したのが、なかなかきつかったですね。いろいろなやり方で原文と訳文の突き合わせをやりました。実験的にやってみてよかったのは、原文をパソコンに自動で読み上げさせて訳文と突き合わせるやり方です。これで誤訳を何箇所か見つけました。私はダニエルという声が気に入ったので、最後まで彼に助けてもらいました。もはや同志(笑)

蔵西:しかし、この『白い鶴よ』の衝撃はすごいですね。

星:内容が政治にも踏み込んだものだし、かなり突っ込んだ描き方をしてますし、正直、翻訳して大丈夫だろうかと自問自答したことはありました。結果として、人間の尊厳という普遍的かつ大事なテーマを伝えてくれている本ですし、読者のみなさんにも著者のメッセージが伝わっているのを感じるので、思い切って翻訳してよかったと思ってます。

蔵西:星先生、次の訳書とかご予定はあるんですか?

星:ええ、いくつか企画があって、ぼちぼち翻訳を進めています。

蔵西:へえー! これからも訳書楽しみにしています

W:星先生からこうして翻訳の裏話がお伺いできるの、すごく興味深いです。ありがとうございます。

蔵西先生は『月と金のシャングリラ』を描かれて、いかがでしたか?

蔵西:描きたくて仕方なくて、思う存分、今できる限界まで妥協せず描き切ったと思っています。人生で何回もできない経験をさせてもらえて幸福です。連載中いつも締め切りぎりぎりで編集さんたちに申し訳ないと思いつつ、わがままを通してしまいました。もうきっと私、こんなのは描けないと思っているくらいです。

一同:すばらしい。

W:その「描かなきゃ!」みたいな気持ちはどこから湧いてくるのですか? 何に突き動かされているんでしょうか?

蔵西:それがね、わからないから描いているところがあって。とにかく漫画を描き始めた時もそうだったんですけど、描かねばならぬ、描くんだって気持ちだけで突き進んでいて。もう理由もよくわからない。チベットを好きになった時も同じような感じで、とにかく好きなんだー!という気持ちで支配されているし、いつの間にかチベット行っているし、描いているし。皆さんはどうなんです?


W:以前、海老原先生が『アムド・チベット語文法』の刊行記念イベントで、「なんでチベットなの?って聞かれるけど、あんまり気軽に聞かないでほしい」とおっしゃっていて全く同感だなと思った記憶があります。理由が明確にないんですよね。って今回、蔵西先生にお尋ねしてしまってますけど。

蔵西:でも編集さんの中にはそれを言語化することを求める人がいるんです。「なんで好きなのか、どういう点が魅力的なのか、私を説得してみて下さい」って!
だから理屈をこねてそれなりに言語化することはできるようにはなったんですけど、それが本当かどうかは私もわからない。


W:自分でもわからない、言葉にできないものがあるからそれが逆にエネルギーになっている感じでしょうか。

蔵西:そうですかね。うん。もう描きたくてしょうがなくて描いてるので。チベットのあの人たちのこの場面を描くんだ、あの風景を描くんだ、というような気持ちに突き動かされています。

W:こういうお話がお伺いできて嬉しいです。

E:蔵西さん、これから描きたいものはありますか?

蔵西:描きたいもの、いっぱいあります。チベット三部作構想あります。星先生からの最初の依頼で描いたガル大臣とかの古代チベットや現代チベット。特にガル大臣とソンツェン・ガンポ王のバディもの、ブロマンス的な話を描きたいです。萌えません?

E:壮大ですね!

蔵西:二人の強い絆とか。考えただけでときめきます。

あとツェラン・トンドゥプさんの「美僧」(『黒狐の谷』所収)のような原作ものとか。

この間は『白い鶴よ』を漫画化、みたいな話も一瞬ありましたよね。でもそれはすごく難しそうなので、やるのなら相当がっつり取り組まないとダメだし。描きたいものはいっぱいありますがとりあえず今は目の前の仕事があるので、それをまずやります。

E:先ほど、各キャラクターの一生のストーリーがもう頭の中にあるというお話をされていました内容編参照)。前作の『流転のテルマ』の登場人物と、今回の登場人物と親族関係があったり、蔵西さんの頭の中でストーリーがどんどん繋がっていってるんですね。

蔵西:『月と金のシャングリラ』の連載の前に、コミティアで『流転のテルマ』の前日譚の漫画を出したんですけど、その時はまだ『シャングリラ』の連載ができるとは思っていなかったので、これをずっと描こうと思いましたが、連載が始まっちゃって。

E:今後もいろんなストーリーが読めるかと思うと、楽しみです。

蔵西:ありがとうございます。

E:最後に、両作品に出てくる「白い鶴よ」の詩について触れておきたいと思います。

『白い鶴よ』のタイトルは、ダライ・ラマ6世が北京に送られる道中で恋人に送ったとされる詩の一節からとられていますね。(『白い鶴よ』の冒頭にも引用されている「白い鶴よ 翼を貸しておくれ 遠くには行かない リタンを巡って帰るから」)

『白い鶴よ』を読み終えて、タイトルのもとになっているこの詩の内容につながり、そうだったのか、という気持ちになりました。

実はこの詩、『月と金のシャングリラ』第1巻でも引用されていますね(39頁)。ダワたちが僧院に帰る道すがら歌っていました。

物理的に離れてしまっていても、相手の幸せを思いつづける。それでも、心はつながっている。そんな彼らの運命を暗示しているようにも読めました。「白い鶴よ」の詩がうまく活かされているのも両作品の共通点と言えますね。

本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

イラスト:蔵西 

第1回 なれそめ編 

第2回 ラジオ出演裏話編

第3回 内容編

俳優のジンバ氏にインタビューする星を蔵西が描くの図
(2018年、有楽町朝日ホールにて)

2021年4月29日木曜日

チベットの物語を訳すことと描くこと (3)

 
 
みなさんこんにちは。
この間、蔵西さんの快進撃が続いています。『週刊文春』の2021年4月28日発売号から、新連載『ペルシャの幻術師』が始まりました(コミックナタリーの記事へ)。司馬遼太郎のデビュー小説を原作とした13世紀のペルシャを舞台にした歴史物語。蔵西さんの美しい絵でいつもの週刊誌がそこだけ別世界と化しています。ぜひお読みください!(星)
 
 ***
 
ダブルインタビュー連載第3回は『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』と『月と金のシャングリラ』の内容について語ります。引き続きこの3人が聞き手となってお話を伺っていきます。

 ◇◇

 

◆『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』について

E:続いて作品の内容についてお聞きしたいと思います。
まずは『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(以下、『白い鶴よ』)について。
 
東チベットの中でもまだ宣教師が入っていない、ニャロンという地域に向かったアメリカ人の宣教師の夫婦、そしてその地で生まれた息子のポールが主人公の物語ですね。

星:そうですね。なかなか複雑な歴史を扱っているんですが、宣教師の目が入っているのでわかりやすいんです。少なくとも前半は語り手になってくれている。

物語に入りやすい仕組みになっている小説だなあと思いましたね。
 
チベット文学では今までそういう小説がなかったんですよ。英語で書かれたものでは、ジャムヤン・ノルブの『シャーロックホームズの失われた冒険』もそういう仕立てにはなっていて、他者の目、つまり「ホームズ」を入れる仕組みで、チベットに徐々に入って行く形になっていますが、それくらいですね。
 
英語圏の人たちになじみのある「シーシュポス」とか「ソドムとゴモラ」みたいなフレーズを挟むなどの工夫もされています。
 
そういった工夫をしつつ、エンターテインメイントの要素もある、歴史大河ドラマにまとめたのが大変な手腕だなと思います。

また、チベットの外に出た人にしか書けない内容でもあると思いますね。中で暮らしている人には書けることと書けないことがあるので。果たすべき役割を果たしていると感じます。

E:そうなんですよね。

著者のツェワン・イシェ・ペンバさんはチベットで生まれた方ですが、いろんな視点から物語を描かれています。宣教師の視点、地元のチベット人、子供たちの様子、すごく活き活き描かれている。また、解放軍も出てきますが、それに協力する人たちの物語、それに対抗するチベット人たちの物語など、偏りなくまとめあげているのがすごいなと思いました。また、女性もすごく活き活きとしているのも印象的。ツェレクちゃんとか。
 
蔵西:ツェレクね。

E:そう、ちょっとエッチでいいなって。すごくアクセントになっているなと思いました。

蔵西:そうですよね。彼女がいないと(男女をめぐる)物語がちょっときれいすぎるというか。物語の構成のバランスが巧みですね。

星:活き活きとした描写と言えば、異なる文化的背景をもつ人たちが接触する時の対話が素晴らしいんですよね。この作品の一番よいところはなにかと聞かれたら、やっぱり対話だと思います。この本で一番注目してほしいと思ったところでもあります。
 
他者を拒絶するということを我々は今たくさん目にしていますが、この本で描かれていることはそれとは逆に、他者に興味を持って、理解はできないものの尊重はしようという態度でつきあっているさまが描かれている。それが崩れていくさまも克明に描かれていてるんですよね。
 
それが全部、対話で表現されているところが素晴らしい。

蔵西:一番印象的だったのは、クンガ・リンチェン僧院で最後の最後、タシ・ツェリンと緊迫した対話のシーン。そのあとケンポもみんな死んでしまう。あのシーンがものすごいドキドキして緊張しました。ここが一番書きたかったのかな、と思います。そこも対話ですよね。

星:そうですね。ああした対話におけるタシ・ツェリンの口調を翻訳するとき、かなり気をつかいました。相手の立場も理解したいんだけど、なんとか自分の力で故郷を変えなければ、という使命も語らなければいけない。そうした葛藤がタシ・ツェリンの言葉に滲み出ていましたよね。

蔵西:あのシーンはきつかった……。星先生もこのシーン辛くて訳すの進まなかったっておっしゃってましたよね。

星:50章ですね。そうそう、辛いシーンが延々と続くんですよね。翻訳も時間がかかりました。


E:我妻さんが印象に残ったシーンは?

W:印象的なシーンは、指を切り落とすところでした。あれってどういうことなんですかね? 「義兄弟の契り」とは別のものなんでしょうか?

星:あれは臆病じゃないってことを証明することですね。
「義兄弟の契り」は、狩りをしながらたどり着いたゴロクで、指に傷をつけて互いの血を混ぜるシーンに出てきます。
 
W:「義兄弟の契り」はどういうものなのでしょうか?

星:よく(チベットの)小説にも出てきますよね。「お互い困った時に助け合う」「裏切らない」とかそういうことなんでしょうね。
 
ゴロクへの旅の章は、ちょうどいいインテルメッツォみたいな感じでよいですよね。

蔵西:なんかひと息ついたな、みたいな。


◆『月と金のシャングリラ』について

 
E:次に、『月と金のシャングリラ』(以下、『シャングリラ)についてお話を伺います。

蔵西:はい。

W:僧院がテーマですね。なぜこのテーマで漫画を描こうと思われたんですか?

蔵西:単純に、僧院と僧が大好きで、すごく魅力を感じていたからです。この人たちの世界を描きたい!と思っていたけど、とても描けるわけがない、という気持ちもあったんです。だって、とうてい計り知れない世界を持っている人たちですから。なので、無理だと思っていました。
 
担当編集さんと「次の漫画もチベットを舞台にするけど、どういう話にしよう?」と打ち合わせをしていた時、「もうそんなにチベット僧のことを描きたいなら描きましょうよ!」となり、描くことに。それにずっとチベットのことを描いていくのならば、この年代のこともいつかは描かなければいけない、避けては通れない、と思っていました。それであの年代の僧院といったらああいうストーリーができた、という感じです。
 
デビュー作の『流転のテルマ』はチベット問題に触れるのが怖くて、西チベットっていうのを強調して逃げたんです。自分では逃げたと思っていて居心地が悪かったんですね。今回はちゃんとチベット本土を描こうと思って。逃げずに僧のことも描こうと思って描いたのがこれです。
 
あと、担当編集さんが映画の『さらば、わが愛 覇王別姫』のファンで……。

M:やっぱりそうでしたか!

蔵西:ええわかっちゃった? 三浦さん。

M:だって私、『覇王別姫』大好きなんだもん!

蔵西:担当さんが、「『覇王別姫』チベット僧院版やりましょうよ」と。じゃあもうやるしかないかとなって。

M:でも『覇王別姫』まで話が進まなかったじゃないですか。

蔵西:まあまあ。

M:最後に捕まって片方を裏切って、となるのかな思ったんですよ。

蔵西:いやいやいや。一応、各キャラクターの一生のストーリーは作ってあるので描けるのは描けますが、蛇足も蛇足だから描かない。もしくは、同人誌でこっそり描こうかなと思っています。

E:今の『覇王別姫』の話をお聞きして、なるほどと腑に落ちました。やっぱり印象的なシーンはどこかと言われたら、チャムのシーンで。ドルジェの恍惚の表情に説得力があるというか。ダワもこの表情を見たらドルジェの絵を描きたいってなってしまいますよね。

蔵西:うふふ。

E:ここでダワが本当の気持ちに気づくっていう。すごくしっくりくる場面でした。

蔵西:漫画では常に、「切なさ」と「エロさ」を描きたいと思っています。
言い換えるとそれは「愛と諸行無常」なんです!

M:ドルジェの背中を見るダワの目ってひょっとして蔵西さんになってません?

蔵西:ええー、バレてましたか。

星:それは私も思いました。蔵西さんが透けて見えるというか。


M:憑依してますもんね。

星:漫画家の人と知り合いという状況がないのでわかりませんでしたが、一般的に、漫画の中には作者がいるっていうじゃないですか。そうなんだなあと実感をもって感じました。

蔵西:恥ずかしいです。

星:いやでも、すごくよい意味でですよ。

蔵西:本当ですか? ありがとうございます。

星:汗の描き方も素晴らしいなって。

蔵西:よく見てくださっている。一粒一粒に気持ちを込めてるんです。たぎる思いを。

E:他に、印象的なシーンはありますか?

W:私が印象に残っているのは、一巻でダワが「僕ここにいていいのかなあ」と悩んでしまうところと、ドルジェが親からの期待で押しつぶされそうになっているところです。そういう個人的な悩みにすごく共感しました。

そこでガワン先輩や周りの人からの「お前はもう充分頑張ってるよ、そのままでいいんだよ」という言葉をかけられるシーンに癒されました。

今のこの時代って、何者かにならなきゃいけないんじゃないか、あの人みたいにキラキラしていなくちゃ、と思っている人が多いと思うんですよね。
私も思わず自分を重ねて、ああこのままでいいのかもなと思ったんです。
 
蔵西:ありがとうございます、読み取ってくださって嬉しいです。

前作の『流転のテルマ』も今回も、「そのまま受け入れる」ことと「執着」をサブテーマにしています。

この一巻の方ではそんなに性への目覚めがない頃で、小中学校くらいのわちゃわちゃした年代なりの悩みを描きたかったのです。


E:『シャングリラ』の好きなキャラの話もしましょうか。私は結構ペマが好きでした。ペマみたいな女の子に憧れてるので。

蔵西:ペマは数少ない女子キャラでした。やわやわした子ではなく、チベット人女性らしい強さのある子を出したくて。

E:キャラクターと別の話になりますが、漫画の風景の中で、蔵西さんは谷をたくさん描かれているじゃないですか。両側が山で谷がひらけていて、光が放射状に広がるような。あれがすごく好きで、あの場面を見ると開放感を感じます。

蔵西:えー、ありがとうございます。

チベットって本当に美しく素敵なところです。それを恥ずかしくないようにちゃんと描こうと思って描いているので、嬉しいです。ありがとう。

E:あと、漫画の中のリアリティーある描写は、どのように取材や情報収集をされているのでしょうか。

蔵西:初めてチベットに行ったのが1987年で、それから通い始めました。その頃はまだ漫画は描いてなくて絵地図を描いてました。その資料のためにと言い訳して、がむしゃらに写真を撮りまくって、スケッチもたくさんしました。

その頃はフィルム時代で、すごく荷物がかさばったんです。なのにこんなに撮って、いったいなんの役に立つんだろうと思いながらもやってたんですけれど、今、漫画を描くのにすごく役に立っています。無駄なことはないんだなと。


E:一次資料を蓄積していたわけですね。

蔵西:そう。その時は訳もわからず撮っていたけど、今になると本当にお宝資料なんです。

 


イラスト:蔵西 

(つづく)

 

第1回 なれそめ編 

第2回 ラジオ出演裏話編


2021年4月24日土曜日

チベットの物語を訳すことと描くこと (2)


 
SERNYA 編集長の星泉と漫画家の蔵西さんのダブルインタビュー、第2回は星のラジオ出演をめぐる裏話を、蔵西さんの挿し絵つきでお送りします。第1回なれそめ編はこちらからどうぞ。
 

 ◇◆◇◇

 
 
『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(以下、『白い鶴よ』)の著者、ツェワン・イシェ・ペンバさんの生い立ちや「初めてづくし」の生涯、翻訳の際の工夫(原文の中のチベット語を日本語訳ではルビで対処したこと)、この本との出会いなど、本書にも書かれていないことをお話しされていてとても楽しく聞きました。
 
実はこのラジオ出演は、蔵西さんの描かれた帯絵がきっかけだったとか。そのお話をお聞かせ願えますでしょうか。

星:10月に本が出て、ラジオで紹介されたのは11月24日でしたね。ツイッターを見てたら知らない人から、「今ラジオでやってますよ」というメッセージが届いたんです。
 
すぐにradikoで聴きにいったら、宇垣美里さんが『白い鶴よ』をおすすめ本として熱いプレゼンをしてくれていて、びっくりしました。宇垣さんが奥渋谷のしゃれたブックストアに立ち寄ったところ、そこにこの本が積んであって、まず帯の絵に目がいったそうです。
 
「これはもしや蔵西先生の絵では?」と手に取ったのが、『白い鶴よ』との出会いだったとお話しされていました。
 
ラジオでの宇垣さんのプレゼンがきっかけでたくさんの人が買ってくれて、発売から2か月で重版になるという前代未聞のことが起きたんですよね。

蔵西:すごいですね。

星:それを知った大学の広報からインタビューの依頼があって、さっき話題になった『指さし』を一緒に作った浅井万友美さん(なれそめ編参考:『旅の指さし会話帳 チベット』)がインタビュアーになってくれたんです。
 
そのインタビューの中で「アトロクありがとう」と言ったら、それが番組の放送作家さんの目に止まってラジオ出演に声をかけてくれた、という経緯でした。

蔵西:なんという流れ。

星:そんなことがあるんですね。

宇垣さんは蔵西さんの漫画を『ダ・ヴィンチ』や『週刊文春』で紹介されていて、ファンを公言されてますよね。

宇垣さんは漫画もアニメも映画も、たくさん観てお仕事されていますが、小説もたくさん読んでいる方で、外国文学もよく読んでいる方で。

「アトロク」でも宇垣さんの登場する火曜日は外国文学をよく取り上げています。

蔵西さんの帯絵のインパクトのおかげでこんなことになりました。感謝です。
 
蔵西:えっ、でも先生、最初は帯絵のこの2人(物語の中心人物であるテンガとポール)を描く予定はなかったんですよね。

中の絵地図は描いていましたが、この2人がせつなくて好きで好きで、キャラ描きたいです、と私が言ったら、星先生が「描いてもいいのよ」とお返事くださって。
 
じゃあ描こっかな!と描いてこうなった。

星:そうそう。蔵西さんから「ファンアートを描いてもいいですか?」ってメールをいただいて、いいよいいよって言って。
 
ただ、その時も帯絵をお願いしたわけでもなかったんですよね。
 
帯の推薦文を蔵西さんにお願いすることだけが決まっていました。
 
というのも『月と金のシャングリラ』の第一巻の帯文は私に依頼してくださったので、『白い鶴よ』は蔵西さんにぜひお願いしたいと思っていたんです。
 
蔵西さんのイラストが素晴らしかったので、書肆侃侃房からの提案で帯に絵も添えることになりました。

蔵西:ね。何気ないところからこうなったというか。不思議。

星:そう。ほぼ雑談的なところからこの帯絵が生まれた。

蔵西:まぁ元を言えば「萌え」ですけどね。
 
せつなくて愛おしいところが発端。この本は本当にすごい内容ですから。

W:蔵西先生の「萌え」パワーできっと、本屋さんで人の目に留まって手に取る人も多かったんじゃないかなと思いました。絵がないのとあるのとじゃ……

蔵西:でも、こういう絵があると嫌だという人もきっといるので、そういう人のことは逃しちゃったかなという気はするんですけど。

W:いえいえ、蔵西先生の絵がこの本の魅力をより一層引き立てていると思います。

星:本当にありがたくて。私、あとがきに思わず、「この本を読んで面白いと思った人は、ぜひ蔵西さんの漫画も読んで!」と書きましたもん。

W:ラジオ出演されてからの『白い鶴よ』の反響はどうでしたか?

星:驚いたのはAmazonですぐに在庫切れになって、中国文学で1位になったことですね。

蔵西:「ベストセラー1位」ってタグがついてたりした。

星:「中国文学で」というところがなかなか味わい深いですよね。

蔵西:ね。どうして? って思うけどね。

星:そうそう、アトロクの昨日の放送で取り上げられた『ヒップホップ・モンゴリア:韻がつむぐ人類学』という、国立民族学博物館の島村一平先生が書かれた本があるんですが、宇多丸さんがその本の帯を書いてるんですよね。本の紹介に惹かれて読んでみたらすごく面白かった。 
 
先週の放送(星泉出演回)の後、本読みましたと放送作家の古川耕さんに伝えておいたら、昨日の放送でもまたチベット文学の話を少ししてくれたんです。よかったら聴いてみてください。

E:その放送聴きました。「モンゴルのヒップホップの話と先週のチベット文学の話をあわせて聴いてください」と宇垣さんがお話されていて、また素晴らしい相乗効果が生まれたなと思いました。ナイスフォローです。

星:島村さんも『白い鶴よ』を買ってくれて、「読みます」って言ってくださったんです。

蔵西:どんどん広がっている。

星:そう。嬉しかったですね。
 
あと先週の放送では、宇多丸さんが『白い鶴よ』を読んでくださってたっていうのが嬉しい出来事でしたね。実は、ラジオの台本では宇多丸さんは本を読んでいないという前提で書かれていたんですよ。 
 
でも、オープニングトークを聴いていたら読んでくださっていることがわかって、嬉しかったですね。

お二人とも関心を持ってくださっているのが伝わってきて、会話しながら興奮してました。

E:クリエイティブな連鎖反応が起こっていますね。 

イラスト:蔵西 

 

(つづく) 

第1回 なれそめ編 

ちびテンガとちびポーロ
ちびテンガとちびポーロ

2021年4月17日土曜日

チベットの物語を訳すことと描くこと (1)

 
セルニャ編集部の海老原志穂です。 
 
このたび、編集長の星泉と漫画家の蔵西さんを囲み、常日頃からお二人にいろいろお聞きしたいと思っていた海老原が、チベット文学翻訳修業中の我妻沙織とともにこのダブルインタビューを企画しました。
 
インタビューは2021年3月10日にオンラインで実施、当日は編集部の三浦順子も参加しています。本連載の挿画は蔵西さんに描いていただきました!


なお、インタビューの2日後に、蔵西さんの漫画『月と金のシャングリラ』が第24回「文化庁メディア芸術祭 マンガ部門」の審査委員会推薦作品に選出されるという嬉しいニュースも舞い込んできました。蔵西さん、おめでとうございます!

それでは、インタビューなれそめ編からスタートです。

 ◆◇◇◇

E:今日は、チベット語研究者の星泉先生と漫画家の蔵西さんにお話を聞こうとこのような会を企画させていただきました。
 
2020年は、チベットの現代史を扱った作品がつづけに刊行された記念すべき年でした。
 
漫画『月と金のシャングリラ』(以下、『シャングリラ』)の第一巻が2020年4月に、第2巻が2020年8月に刊行され、完結しましたね。その後、星先生が英語から翻訳された『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(以下、『白い鶴よ』)が2020年10月に出版されました。また、その後、東北チベット出身のナクツァン・ヌロの記録文学『ナクツァン』(棚瀬慈郎訳) が2020年11月に刊行されています。
 
お二人の作品があまりに間をおかずに刊行され、また、内容的にも共通点が多かったので、お話を聞きたいと思っていました。
 
お二人の作品には、チベット東部 (東チベット、東北チベット) が舞台であること、大きなスケールでチベット現代史が描かれていること、悲劇的なできごとを乗り越え、人と人とのつながり、愛みたいなものが描かれていることなど、様々な共通点がありますね。

蔵西:愛!

E:愛ですね、つながりがテーマになっているという共通点もあるなと。
 
もともとお知り合いでもあり、ほぼ同時期にこのような作品を手がけられていたお二人ですが、まずはお二人の関係についてお聞かせいただけますでしょうか?なかなか他のメディアでは知る機会も少ない話ですので。

W:そもそも、お二人はいつ頃知り合われたのですか?

星:ちょっと調べてみたんですが、初コンタクトは2012年の5月9日だったようです。この時に蔵西さんが私のことを調べられたのかなあ。蔵西さんが私について何かしら発言して、それに私が反応した形跡が残ってました。

蔵西:えーとですねえ、いいですか、語っても。


一同:もちろん!

蔵西:私、もともと、三浦順子さんはチベット関係の本をたくさん出しておられてるので前々から存じあげていました。雲の上の存在でした。そんな中、2006年に『旅の指さし会話帳 チベット』を買って、そこに星先生と浅井万友美先生のお名前があり、こんなすごい人たちいるんだな、別世界の人だな、と思っていました。
 
そして、その頃、私はまだ漫画は描いていなくて、チベットに行っては絵地図を描いていたんです。絵地図ではチベットの文化、歴史は描けても、もっとチベットの人の物語を描きたくて。チベットの人の物語を描くには漫画がいいぞと気がついたんです。

その後、チベットの漫画を描き始めて、コミティアで出店したり、出版社に持ちこんだりしてたんですけれども。私がアップしていたその漫画とかを、ツイッターで、たぶん、星先生が気がついてくださったんですよね。

星:そうかなあ、そうだったんですね。

蔵西:私にとっては、星先生は雲の人の上の一部。

星:星だけに(笑)

蔵西:三浦さんとか星先生は雲の上の人なので、手の届かぬ人、と思ってたところで、お声をかけられたので、なにごと、と思いました。
 
一番最初はツイッターでフォローしてくださったんですよね、たしか。

星:ふふふ。

蔵西:それで、そのあとに先生とお会いすることになったり。
 
あの、2012年に東京外国語大学のオープン・アカデミーで「チベット現代文学の世界へようこそ」が開講されましたでしょ。そういうのに出てたりして。
 
それで、おぼえてますよ。星先生と二人で、横浜のアフタヌーンティーで語りましたよね。

星:ふふふ。そう、それがねえ、9月。

蔵西:9月かあ。

星:9月21日に、私が深夜にね、蔵西さんに依頼を、DMを送っていたのもつきとめました。

蔵西:うふふ。さすが、先生すごい。

星:10月に学会発表するんですけど絵を描いてもらえませんか、と言って蔵西さんを驚かせたんですよね。それが9月のことでした。

蔵西:そうそうそう。私、たぶん、その時、西チベットのスピティにいたんですよ。それで、びっくりしてしまって。なので、私としては、ほ、ほんとうに、せ、先生から声かけていただいた!とか舞い上がっちゃって。

星:いやいや。

蔵西:た、たいへん、だったのですよ。だって、アフタヌーンティーに会いに行く時に、その頃、頑張って、9センチのピンヒールはいてたんですけど、慌てたあまり、走って、マンホールの穴にかぽっと入っちゃて、転んじゃって。

星:転んじゃったんですか?

蔵西:そう。もうこれは、幸先わるいんじゃないかとか思って、てことがありました。

星:蔵西さんに描いてもらったイラストを使った発表スライド、これです!

 

2012年のこの依頼がきっかけになって、蔵西さんをいろいろ巻き込んでいくことになるんですよね。2013年に『セルニャ』(『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』) の出版企画が立ち上がり。

蔵西:そそ。『セルニャ』、ですよね。

星:表紙を描いてもらって。表紙以外にもいろいろ描いていただいて。ペマ・ツェテン監督が蔵西さんをおお気に入りで。

W:それでは、2012年の5月9日から、もう10年ほどのおつきあいになるんですね。

星:そうですね、チベット文学研究会が世の中に打って出ていくタイミングと、蔵西さんとの出会いがリンクしているんですね。

蔵西:ありがたいです。

星:文学と映画をひっくるめて盛り上げようという活動にすごくいい形でからんでくれたのが蔵西さんですね。蔵西さんなくしては、われわれの文学と映画の活動はここまで行かなかったんじゃないかな。

蔵西:そんなそんな、ありがとうございます。

E:そうですよね。『セルニャ』のvol. 1が2013年12月に刊行されているので、出会ってわりとすぐに、この表紙のイラストを描いてくださったのですね。

蔵西:いやー、だって、ペマ・ツェテン監督のDVDをくださって、これを見て、描かずにはいられませんでした。

星:そうなんですよね。蔵西さんがめちゃめちゃ映画を見ている方だっていうことがわかって。じゃあ、もう一緒にやろうよっていうことになりましたよね。

W:こういう裏話的なお話、おうかがいしていてすごくおもしろいです。

星:セルニャ創刊の話は1号の「金魚(セルニャ)は夜泳ぐ」という記事にまとめたんですが、蔵西さんとの話は書かなかったので、今日が蔵出しですね。

W:そうなんですね。さっきの蔵西さんのピンヒールがマンホールにはまってしまったのも、蔵西さんのその時の心躍る心情を表しているというか、緊張もあったと思うんですが。

蔵西:緊張してましたよー。

星:すごく盛り上がったんですよね。気づいたら4時間くらい経ってました。

蔵西:そう。私もこのチャンスのがすまじという思いでした。こんなこと二度とあるまいと。

星:私としてはリラックスしてお話しできました。

蔵西:すみません、ほんとに。
あの、無理矢理、私の描いた同人誌をお渡ししたら、先生が二回も読んでくださって。恥ずかしくなっちゃって。

星:ふふふ。その場で二回。

E:どのような内容の同人誌だったんですか、さしつかえなければ。

蔵西:西チベットの男女の恋愛もの。でも設定がぐちゃぐちゃだったんですよ。

星:女の子がすごいかわいかったですね。

蔵西:絵師の卵の女の子の医者になりそこねた男の子の。先生、二回も読んでくださってありがとうございます!

星:ふふ。自宅に帰ってもまた読みましたよ。

蔵西:えー、恥ずかしい。もう、黒歴史ともいえるような。そんなことがありました。

W:いろいろ聞かせていただきましたが、お二人はお互いをどんな存在だと思っていらっしゃるんですか?

蔵西:は、はい。前にも言ったことがあると思うんですが、星先生は私の恩人だと思っているんですよ。
 
チベットのことを描くことにすごく躊躇があって、私なんかがチベットの漫画を描いていいんだろうかという迷いがあったんです。そんな中で、先生が連絡してくださり、いろいろ、イラスト描かせてくださったり。
 
チベットの漫画や絵はどうしても描かずにはいられなかったけれども、それゆえに、独りよがりで身勝手なものなのではないかとずっと恐れていました。出版社に持ち込みに行ってもボツばかりで、苦しかった。
 
それが、星先生が見出してくださったことで、世界とつながったし、喜びを得ました。これから何をしたらいいか、より良い方向を判断させて下さったというか…。
 
星先生が声をかけてくださらなかったら、今の私はないと思っているので。本当にありがたい。おおげさかと思うんですけど、本当に感謝してます。尊敬してます。
 
星:私からも言わせてください。私は蔵西さんと出会った頃、いろんな人と一緒に仕事をするという経験がまだ少なかったんです。翻訳会とかはしてましたけど、積極的に世に出して影響力のあるものに仕立てていくとか、今のようなスタンスにはぜんぜん達していなかった。
 
でも、そういうことは必要だな、と思っていたところに蔵西さんが現れて、翼をくれた気がします。

蔵西:わー。

星:飛びたいとは思っているけど、どうしたら飛べるのかわからないという時に、前に進む力をくれたなと思ってます。
 
違う能力を持つ人たちが集まって力を合わせるおもしろさを味あわせてもらった気がします。『セルニャ』の編集部の人たちはみんなそう思っていると思いますよ!

蔵西:ありがとうございます。

星:蔵西さんなくしては始まらない。重要人物です。

蔵西:今、身をよじってるんですけど。

一同:笑

E:最初からぐっとくる話ですね。

蔵西:なんか、もう今日はこれで終わっていい気がする。

星:シスターフッドの物語ですね。私と蔵西さんの。

W:すごいご縁。不思議なご縁の力で『セルニャ』なども生まれたんだなと、ファンとして思いました。

蔵西:ありがとうございます。

イラスト:蔵西  

次につづく


2021年2月11日木曜日

SERNYA vol. 7

『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA』vol. 7 が完成しました。送付ご希望の方はこちらからお申し込みください。現在は基本的に受付のみで、発送作業は4月からスタートする予定です。

◎もくじ◎(☆印はチベット語原文あり。)

特集 多言語に花開くチベット文学   
巻頭言 ---星 泉 蔵西 画

【詩】

  プチュン D ソナム

       海老原志穂  訳 安樂瑛子 画

        「無題」

        「ニューヨークのチベット人」         

        「ぼくは…」

        「ホーム・トレイン」

        「ヤクをみたことはある?」



【小説翻訳】

  ペマ・ツェテン「金の耳ひとつ」大川謙作  訳

  マチウ・リカール「白雪の城塞  智慧と慈愛の探求今枝由郎 訳 安樂瑛子 画

  ラシャムジャ「川のほとりの一本の木」星 泉 訳

 

【詩】 

  サドン・ラモ 海老原志穂 訳 安樂瑛子・画

        「息を吐くために息を吸う」

        「靴下をはいたまま愛しあったこと」           

 

【創作と言語】

  バイリンガル作家ペマ・ツェテン ◎大川謙作

  映画『羊飼いと風船』  バイリンガルな撮影現場 ◎星泉

「チベット語圏文学」の周辺 

  ラダック、シッキム、ブータンにおける文学創作 ◎海老原志穂

 

【詩】 

  シャジュン・ヤンバ 拉加本(ラジャブム)

    ☆「ふるさと」

 

【チベット文学論】

  交通と交換 『雪を待つ』後編を読む ◎鵜戸聡 ダワ・ツォモ 画

2009-2018 10年間に書かれたチベット語短編小説

          ◎ツンポ・トンドゥプ 海老原志穂 訳

 

【チベット文化考】

  チャールズ・ベルとThe People of Tibetについて ◎三浦順子

  The People of Tibet 15章 女性の地位 ◎チャールズ・ベル 三浦順子 訳

  チベットの呪いと乾隆帝 岩田啓介

  チベットの六道輪廻を旅する 三浦順子

 

【チベット映画の現在】

  映画『巡礼の約束』 インタビュー

        ソンタルジャ[監督] ヨンジョンジャ[主演] ◎編集部

チベット映画 その様相とチベット人の業績 ◎ワンディカル 三浦順子 訳


 編集:チベット文学研究会
 ブックデザイン: 草本舎
 装丁画: 蔵西

ジンバ [俳優] 蔵西 画

2020年12月25日金曜日

『風船 ペマ・ツェテン作品集』出版

文・大川謙作

2020年12月、ペマ・ツェテンの2冊目の邦訳作品集『風船 ペマ・ツェテン作品集』が出版されました!


ペマ・ツェテン著(大川謙作訳)『風船 ペマ・ツェテン作品集』(春陽堂書店、2020年)、2,000円+税、256頁。写真は春陽堂書店提供。

ペマ・ツェテンはチベット母語映画の牽引者として名高い映画監督であり、その映画は国内外で数々の受賞歴を誇っています。日本でも東京フィルメックスで最優秀作品賞をはじめ多くの賞を獲得しており、映画ファンの間では徐々に知られる存在となりつつあります。そしてまた、ペマ・ツェテンは、チベット語と漢語で創作を行うバイリンガル作家でもあり、我々チベット文学研究会は長年にわたって彼の小説を日本の読者に紹介してきました。すでにその邦訳作品集『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』を2013年に出版しており、またその後も本誌『セルニャ』において、度々その小説の翻訳を掲載していますので、『セルニャ』の読者にはお馴染みの作家でしょう。どちらかといえば映画監督として高名な人物ではあったのですが、近年では中国において数々の文学賞を受賞し、またその小説が多くの国で翻訳紹介されていくなど、文学者としての評価も高まってきています。映画監督としても小説家としてもきわめて精力的で生産的な芸術家であるといえます。

この度、その映画『羊飼いと風船』が劇場公開されることになりました(2021年1月22日よりシネスイッチ銀座をはじめとして全国公開)。ペマ・ツェテンの映画としては初めての日本での劇場公開となります。これまでは、映画祭などで高い評価を得てはいても劇場での一般公開というかたちでペマ・ツェテン映画を鑑賞する機会がなかったので、これは大変嬉しいニュースです。ペマ・ツェテンを知る人からすれば、ようやく、という感じでもあります。そしてこの映画公開に時期を合わせて、『羊飼いと風船』の原作である「風船」も収録した2冊目の日本語版作品集も出版することになったのです。映画と小説、双方でチベットの地が生んだこの優れた表現者の芸術世界に触れることができる絶好の機会になると思います。

本書には、表題作の「風船」の他、やはり映画の原作である「轢き殺された羊」などの小説六篇に加え、自伝的エッセーも収録し、また訳者解説も付しています。ペマ・ツェテンの小説は、時に生死のあわいをやすやすと乗り越えるような幻想性を備えたものから、チベットの「いま」を鋭くえぐりとった写実的な作品まで実に幅が広いのですが、いずれの作品もシンプルながらも非常に力強い硬質の文体が特徴で、読者を一瞬にして「映画では出会うことのできない、もう一つのチベット」(ペマ・ツェテン)へと連れさっていくような力を持っています。多くの読者にペマ・ツェテンの世界に触れて欲しいなと願っています。

小説『風船 ペマ・ツェテン作品集』春陽堂書店公式サイト

映画『羊飼いと風船』オフィシャルサイト

 

著者紹介
ペマ・ツェテン
1969年、中国青海省海南チベット族自治州貴徳県(チベット、アムド地方ティカ)生まれ。チベット語と漢語の双方で執筆を行うバイリンガル作家であり、またチベット母語映画の創始者とされ、数々の国際映画祭にて受賞歴を持つ映画監督でもある。

収録作品紹介(『風船』訳者解説より一部抜粋)
よそ者
僻地の村を訪れた、謎めいた「よそ者」がドルマという女を探し求めるが、女はなかなか見つからない。登場人物が何かを探し求めるが、それを見出すことができないというこのテーマは、いかにもこの作家らしい。何かがこの世界から失われており、我々はそれを探すが容易には見つけ出すことができず、そうこうするうちにそもそも何が失われてしまっているのか、何を探し求めているかすらもあやふやになっていく。そんな不安な感覚を描きつつも、村人たちと「よそ者」のやりとりを描写する作家の筆致からは巧まざるユーモアが感じられ、登場人物たちに注がれる作家の眼差しはどこか暖かい。

風船
チベットの牧畜民たちの生活を細やかに描写しながら、性と生殖を主題としつつ、羊と人間の関わりを通じて現代チベット女性の苦悩を描いている。幻想性を排除した硬質の文体が印象深い。作品において、羊は、急速な都市化や経済発展の中で失われつつあるチベットの伝統的な生活の象徴としても扱われる一方で、長らく「産む性」としての役割を期待されていたチベット女性たちのメタファーとしての役割も果たしている。

九番目の男
本作品は九つのパートに分かたれ、主人公ヤンツォと彼女の体を通り過ぎていった九人の男たちの物語が次々と展開していく。平易で短い文章をたたみかけていくような文体は、会話が多用される文章構成ともあいまって、どこか民話的とも寓話的とも言える印象を読者に与える。世界に対する好奇心に突き動かされて外の世界に出て、そして最後には世界に対する信頼を失うというヤンツォの経験は、「喪失」というこの作家のテーマとも深く関連するものである。

黄昏のパルコル
ペマ・ツェテンの小説には珍しく、一人称で物語が展開する。とはいえ、物語の語り手である「私」はどうやらラサに長く住んでチベット語を理解できるようになった漢人のようだが、その正体はあまり明らかではなく、主人公というよりは単なる観察者といった役割を担っている。本作品の魅力は、漢語しか話せない漢人旅行者とチベット語しか解さないチベット人老婆とのディスコミュニケーション状況の描写である。拙いながらも唯一のバイリンガルであるチベット人少年が登場しており、状況を逆手にとって事態を自らの思う方向にミスリードしていこうとしているところに妙味がある。漢語で書かれてはいるものの、読者は常にそのやり取りが何語でなされているのかについて自覚的にならざるをえず、単一言語(漢語)による描写の背景にチベット語と漢語が混じりあって響いているのを感じ取ることができる、非常に意欲的な作品といえる。

轢き殺された羊
自ら轢き殺してしまった羊の魂の救済を求めてチベット高原を走り抜ける長距離トラックの運転手を主人公としたロード・ストーリーである。写実的な描写には迫力があり、読者はチベットの田舎道に舞う土ぼこりを身に浴びているような錯覚に襲われるだろう。本書所収の「風船」、前邦訳作品集に収録した「八匹の羊」「タルロ」、さらには本邦未訳の「吾輩は種羊である」など、ペマ・ツェテンは羊の登場する作品を多く発表している。

マニ石を静かに刻む
月明かりの形象が美しく、読後に深い余韻を残す絶品。作中では大酒飲みのロプサンの夢の中での死者たちとの対話が基調となって物語が展開していき、読者は生と死の境界、そして現実と夢幻の切れ目がぼやけていくような感覚を味わうことになる。夢を通じて死者と交流するというモチーフはチベットの伝統に存在するものであり、ペマ・ツェテンも「チベットの読者は、この作品を読んでも作り話だとは思わないかもしれない」と述べている。

三枚の写真から
青少年時代の姿をうつした三枚の古い写真をめぐる作家の自伝的エッセー。三枚の写真のすべてのエピソードに映画と文学が登場しているところがいかにもペマ・ツェテンらしい。幼少時より文学と映画への愛は変わらないのだなと思うとなぜか嬉しい。これまであまり語られてこなかった作家の少年時代のエピソードが語られている貴重な記録である。

2020年9月15日火曜日

20世紀チベットを描く長編歴史小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』

 2020年10月、ツェワン・イシェ・ペンバ (
Tsewang Yishey Pemba) の長編小説 White Crane, Lend Me Your Wings: A Tibetan Tale of Love and War の邦訳『白い鶴よ、翼を貸しておくれ チベットの愛と戦いの物語』(星泉訳)が書肆侃侃房より刊行されます。 

 この作品は、20世紀前半の東チベット、ニャロンのとある谷を舞台に、果敢にもキリスト教の伝道にやってきた若きアメリカ人宣教師夫妻とチベットの人びとの出会いと交流、そしてやがて訪れる悲劇と抵抗の戦いを描いた傑作歴史小説です。

 作品の背景や著者について知っていただくために、SERNYA vol. 6 に掲載された同名の記事を公開します。(編集部)

 

英語チベット文学への誘い

   ツェワン・イシェ・ペンバと長編小説

星 泉

チベット現代文学の中の長編小説

 チベット文学に日常的に触れるようになってからというもの、機会があればチベット語の長編小説を読むようにしてきた。ぐいぐい読ませるような長編の物語に巻き込まれるのが個人的に好きなのだ。しかし、チベット語で長編を読むというのは正直ハードルが高く(想像しにくいかもしれないが、チベット語の現代小説には辞書に載っていない単語が多くてたやすく心が折れる!)、誰かに勧められでもしない限り、面白いかどうかもわからない長編に手を出す気にはなかなかなれない。
 そんな筆者にとって、フランスのチベット現代文学研究者フランソワーズ・ロバンがチベットの長編小説を俯瞰で捉えて整理し、歴史的背景も含めて解説した記事(注1)はありがたいものだった。ロバンは、チベット語で書かれた長編小説は他のアジア諸地域と比べてかなり少ないが、それはチベットでは古くから仏教を基盤とした物語が民衆文化の隅々に至るまで浸透していたためであろうと分析していた。
 どうやらチベットでは長編小説はこれから発展していく分野らしい。そこで個人的な関心から、2010年代に出た長編小説も含めて調査することにした。ロバンが取り上げていなかった観点として、出版点数や刷り部数の変化や作家の出身地や男女比、出版地の別などを調査してみた。また、ロバンはチベット語で書かれた長編小説のみを対象にしていたが、漢語で書かれたものも調査したところ、なかなか興味深い結果が得られた(注2)。 


 詳細は別稿に譲るが、そこで筆者が知り得たことは、現代的な意味での長編小説が書かれたのは漢語作品が先でジャンベー・ギャツォ(降辺嘉措)による『菊の花(格桑梅朶)』(1980年、人民文学出版社)である。

 その5年後、ランドゥン・ペンジョル(glang mdun dpal ’byor)による、チベット語で書かれた初の長編小説『トルコ石の頭飾り(gtsug g.yu)』(1985年、西蔵人民出版社)が刊行された。少年の成長物語を柱にラサの1930年代の世相を映し出したこの作品は、高尚なレトリックを知らない一般人でも読みやすく、また物語としての面白さも相俟って当時のラサでブームを巻き起こしたという。



 トンドゥプジャをチベット・アムド地方における現代文学隆盛のきっかけを作った東の雄とすれば、ラサで旗揚げした西の雄ともいえるランドゥン・ペンジョルについて語りたいことは多々あるが、本稿の主題からそれるので先に行こう。

英語で書かれたチベット文学

 そんなわけで、チベット現代文学における長編小説の歴史は1980年より前には遡れないと考えていた。ところが、である。思い込みは必ず覆される。
 2018年の5月、アメリカの東洋史研究者で、ペマ・ツェテン監督の映画に深い関心を寄せる呉淑錦氏が筆者を訪ねてきてくれた。お互いに近況報告をする流れの中、チベットの長編小説に関する筆者の調査について話したのだが、呉氏は筆者の提示するデータを面白がりながらも、こう言ったのだ。

「英語で書かれたチベット文学は入れないの? ジャムヤン・ノルブというチベット人作家が長編小説を書いているよね」

 そうなのだ。確かにジャムヤン・ノルブはシャーロック・ホームズのパスティーシュ小説を3冊書いており、うち1冊は日本語にも翻訳されている(注3)。チベット人による英語の創作活動は視野に入っていなかったわけではないが、今回の調査対象から外していたのは事実だ。
 この日の会話がきっかけとなって、チベット人が英語で書いた長編小説を調べ始めたのである。

ツェワン・イシェ・ペンバとの出会い

 

2017, Niyogi Books

 以前、英語のニュースサイトでチベット人作家による小説がまもなく刊行されるという記事を目にしたことがあった。確か、外科医である著者が書いた小説だったはず。「チベット人、医師、長編小説」というキーワードで記事を探してみたところ、ツェワン・イシェ・ペンバという医師であり作家による『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』という長編小説の刊行に関する記事がすぐに出てきた。ダライ・ラマ6世による有名な「白い鶴よ 翼を貸しておくれ 私は遠くに行くのではない リタンを巡って戻るから」という詩を踏まえた、美しくもどこか悲しみを湛えたタイトルだ。ともかく読んでみようとネットストアで発注し、さらに記事を読み進めていくと気になる一節があった。


1966, Jonathan Cape
 著者は「チベット人として初めて」という称号をたくさん持つ人物であり、そのうちの一つが長編小説を初めて書いた人という称号だというのだ。しかも処女長編小説『道中の菩薩たち』の刊行はなんと1966年。出版地はロンドンである。【写真右】
 チベットで漢語やチベット語による長編小説が出るよりもはるかに前に、チベット人による小説が出版されていた。しかもチベットから遠く離れた地で。衝撃の事実だった。
 なぜそんなことが可能だったのだろうか。そもそも、いったいどんな人物なのだろうか。気になって仕方がなくなった。


ツェワン・イシェ・ペンバについて

 

1957, Jonathan Cape

 ここではツェワンの半生記を含むエッセイ集『少年時代のチベット』【写真左】と、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の冒頭に収録されているシェリー・ボイル(Shelly Bhoil)による解説をもとに紐解いてみよう。
 ツェワン・イシェ・ペンバは1932年、チベットのギャンツェ生まれ。祖父は東チベット・カム地方マルカムの出身、ラバ隊を率いてチベットとインドを行き来する商人だったという。
 その息子であり、ツェワンの父であるペンバ・ツェリンは、親とともにダージリンで暮らした経験から、英語を話すことができ、当時チベットに拠点を置いていたイギリス通商代表部に雇用された(注4)

 ツェワンがギャンツェで生まれたのは父の当時の勤務地だったためである。その後、ブータン国境付近のトモ(亜東とも)に通商代表部の支部が設置されると父は転勤になり、一家でトモに移り住む。ツェワン少年は緑深く温暖なトモの地で幼少期を過ごすことになる。この地で話し上手の祖母と暮らし、たくさんのチベットの物語を語り聞かせてもらった経験が後の創作活動に大きな影響を与えることになる。その後、父はラサに転勤になり、一家で移住し、ツェワンが9歳になるまで過ごす。
 仕事柄、刻々と移りゆく世界情勢を耳にしていた父は我が子に英語教育を施すべきだと考え、1941年、ツェワンをダージリン近くのクセオンにあるビクトリア・ボーイズ・スクールに入学させる。同級生はみなイギリス人で英語には相当苦労したが、ツェワンは生来の賢さで乗り越える。そして1949年、17歳のときに医学をこころざし、故郷を離れ、ロンドン大学に単身留学する。

ツェワン・イシェ・ペンバ

 父から時折届く手紙で、共産党のもとで大きな変化を蒙りつつあるチベットの情勢について知る一方、ロンドンではチベットに対して人々が抱く思い込みや幻想に日々直面して嫌気がさしていた。幻影ではなく、リアルなチベットを知ってほしい。ツェワンのその願いは、後にエッセイ集『少年時代のチベット』として結実することになる。
 ツェワンは1955年に大学を卒業したが、前年、ギャンツェのヤルルン・ツァンポ川流域で起きた大洪水で両親が非業の死を遂げていた。そして当時すでにチベットは事実上、独立を失っており、ツェワンの帰るところはなかった。そんな折、後にブータンの首相となるジグメ・ドルジの依頼を受け、ブータンで初めての西洋医学の病院を建て、自身も医師として働いた。その後、1959年にブータン人の妻ツェリン・サンモとともにダージリンに移住し、当地の病院に勤務する。この年の3月にチベット蜂起が起こり、国境を越えてきたチベット人がインド側に押し寄せてきた。ツェワンは負傷した人々や病気の人々に無償で治療を施し続けたという。そのとき命からがら逃げてきた人々から聞いた話はツェワンの心に深い印象を残し、チベットに起きている悲劇的な状況について、いつか書かねばという思いが強くなっていった。
 その後再び医学の研究を進めるためにロンドンに渡った際に書き上げて1966年に出版したのが、自伝的な要素を含む長編小説の『道中の菩薩たち』である。20世紀初頭のヤングハズバンドのチベット遠征の最前線に立たされたトモや、イギリス通商代表部のあるラサ、そしてインドのダージリンなどを舞台にした、ある一家の激動の数十年間の歴史を描いた小説であり、また主人公が少年から大人へと成長していくさまを生き生きと描いた青春小説でもある。この作品を読んだイギリスの、英語圏の読者たちはどんな印象を受けたのだろうか。
 1967年にロンドンから帰国し、ダージリン、ティンプーで長い間、医師として病院に勤務したツェワンは、2007年、念願のチベット訪問を実現させる。1949年にチベットを離れて以来、初めての訪問であった。ツェワンはチベットの変化に相当なショックを受けたようで、何ヶ月もの間、物思いに沈んでいたという。その後、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の執筆に着手し、東チベット、カム地方ニャロンを舞台に、当地に初めて入った若いアメリカ人キリスト教宣教師一家の物語を一つの柱として、山に抱かれた穏やかな暮らしを営んでいたチベットの人々が故郷を追いやられ、何もかもが崩れ去っていく悲劇の物語を交錯させた大河歴史小説を書き上げた。晩年、肝臓がんを患っていたツェワンは、痛みに耐えながら執筆を続けて完成させ、2011年に亡くなった。ツェワンの悲願だった『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の出版は、没後6年経った2017年に、遺族たちの手によって実現したのである。


二つの文化のはざまで

 チベット人というアイデンティティを持ちながら、イギリスの学校文化の中で青春時代を送り、その後の人生でも二つの文化の間で長い間葛藤してきたツェワンは、仏教とキリスト教について思索を繰り広げていたようである。その思索の跡は『道中の菩薩たち』にも『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』にも見られる。さらに、二つの文化の間を往来した作家として、文化の橋渡しとなるような表現を多用している。英語圏の読者を想定した表現として、ラテン語を引いたり、キリスト教と仏教を対比させたり、イギリスやフランスの古典文学などから引用するなど、異文化理解を助ける細やかな描写が特徴である。その一方で、地の文、会話文にかかわらずチベット語を多用し、チベットらしさを伝えている。この絶妙なバランス感覚はどのように培われたのだろうか。インドのクセオンの学校で学んでいた少年時代の経験と大いに関係があるだろう。学校でヨーロッパの古典に親しみ、科学的知識を学んだツェワン少年は、長い休みのたびにトモに住む敬虔な仏教徒の祖母のもとに帰り、祖母に学校で学んだ知識をぶつけては激論を交わしたという。祖母の確固たるチベットの伝統的な世界観に対抗するには生半可な知識ではかなわず、祖母にはずいぶん鍛えられたと振り返っている。

ツェワン・イシェ・ペンバ作品の価値

 『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』はスリリングなストーリー展開と折々に挟まれるユーモアとで読者を大いに楽しませてくれる作品だ。ツェワンのこの文学的才能は、祖母ゆずりの語り好きであるということと、クセオン時代以降、英語を通じてヨーロッパの様々な文学に親しんだ経験が見事に混ざり合って開花したものであろう。そして著者が行ったこともないはずのニャロンの地で起きた過去の物語を鮮やかに蘇らせるリアルな描写は、著者が1959年以降、長期間にわたり、ダージリンで難民の医療活動に従事しながら耳を傾け続けた貴重な体験に支えられている。ツェワン・イシェ・ペンバの軌跡と、この大河歴史小説の誕生の貴重さを思うと瞠目せざるを得ない。

脚注

(1) Françoise Robin. “Tibetan Novels: Still a Novelty: A Brief Survey of Tibetan Novels Since 1985”, Latse Library Newsletter, vol. 6, pp. 26―45, 2009―2010.
(2) 筆者による口頭発表「長編小説の出版状況から読み解くチベット文学の現在」第64回日本チベット学会大会ワークショップ「チベット学研究のホットスポット」、2016年11月19日、身延山大学。
(3) ジャムヤン・ノルブ著、東山あかね、熊谷彰ほか訳『シャーロック・ホームズの失われた冒険』河出書房新社、2004年。
(4) Tibet and British Raj (Alex McKay, London: Curzon Press, 1997) にも父ペンバ・ツェリンに関する記述が見られる。

付記

本稿は第6回チベット学情報交換会(2018年11月16日、駒澤大学)で口頭発表した内容をもとに執筆したものである。
 
※この記事はSERNYA vol. 6に掲載された同名の記事をほぼそのまま掲載しています。写真は一部割愛し、書影を一部追加しました。(2020年9月12日記