2022年4月19日火曜日

SERNYA Web(セルニャ・ウェブ)設置のお知らせ

 『チベット文学と映画制作の現在 SERNYA (セルニャ)』の編集長の星です。こんにちは。ほぼ一年ぶりに書き込みます。2013年のペマ・ツェテン映画祭のときに立ち上げて以来、このサイトで情報発信してきましたが、このたび新しい場所として、SERNYA Web(セルニャ・ウェブ)を設置しましたので、今後は下記をご覧いただければ幸いです。

SERNYA Web (セルニャ・ウェブ) 

翻訳作品やエッセイ、インタビューなど、読み物を充実させていく予定です。本ブログはコンテンツの移行が完了したら閉じる予定です。

今後とも、セルニャの活動は続いていきますので、どうかよろしくお願いします。

2020年12月25日金曜日

『風船 ペマ・ツェテン作品集』出版

文・大川謙作

2020年12月、ペマ・ツェテンの2冊目の邦訳作品集『風船 ペマ・ツェテン作品集』が出版されました!


ペマ・ツェテン著(大川謙作訳)『風船 ペマ・ツェテン作品集』(春陽堂書店、2020年)、2,000円+税、256頁。写真は春陽堂書店提供。

ペマ・ツェテンはチベット母語映画の牽引者として名高い映画監督であり、その映画は国内外で数々の受賞歴を誇っています。日本でも東京フィルメックスで最優秀作品賞をはじめ多くの賞を獲得しており、映画ファンの間では徐々に知られる存在となりつつあります。そしてまた、ペマ・ツェテンは、チベット語と漢語で創作を行うバイリンガル作家でもあり、我々チベット文学研究会は長年にわたって彼の小説を日本の読者に紹介してきました。すでにその邦訳作品集『チベット文学の現在 ティメー・クンデンを探して』を2013年に出版しており、またその後も本誌『セルニャ』において、度々その小説の翻訳を掲載していますので、『セルニャ』の読者にはお馴染みの作家でしょう。どちらかといえば映画監督として高名な人物ではあったのですが、近年では中国において数々の文学賞を受賞し、またその小説が多くの国で翻訳紹介されていくなど、文学者としての評価も高まってきています。映画監督としても小説家としてもきわめて精力的で生産的な芸術家であるといえます。

この度、その映画『羊飼いと風船』が劇場公開されることになりました(2021年1月22日よりシネスイッチ銀座をはじめとして全国公開)。ペマ・ツェテンの映画としては初めての日本での劇場公開となります。これまでは、映画祭などで高い評価を得てはいても劇場での一般公開というかたちでペマ・ツェテン映画を鑑賞する機会がなかったので、これは大変嬉しいニュースです。ペマ・ツェテンを知る人からすれば、ようやく、という感じでもあります。そしてこの映画公開に時期を合わせて、『羊飼いと風船』の原作である「風船」も収録した2冊目の日本語版作品集も出版することになったのです。映画と小説、双方でチベットの地が生んだこの優れた表現者の芸術世界に触れることができる絶好の機会になると思います。

本書には、表題作の「風船」の他、やはり映画の原作である「轢き殺された羊」などの小説六篇に加え、自伝的エッセーも収録し、また訳者解説も付しています。ペマ・ツェテンの小説は、時に生死のあわいをやすやすと乗り越えるような幻想性を備えたものから、チベットの「いま」を鋭くえぐりとった写実的な作品まで実に幅が広いのですが、いずれの作品もシンプルながらも非常に力強い硬質の文体が特徴で、読者を一瞬にして「映画では出会うことのできない、もう一つのチベット」(ペマ・ツェテン)へと連れさっていくような力を持っています。多くの読者にペマ・ツェテンの世界に触れて欲しいなと願っています。

小説『風船 ペマ・ツェテン作品集』春陽堂書店公式サイト

映画『羊飼いと風船』オフィシャルサイト

 

著者紹介
ペマ・ツェテン
1969年、中国青海省海南チベット族自治州貴徳県(チベット、アムド地方ティカ)生まれ。チベット語と漢語の双方で執筆を行うバイリンガル作家であり、またチベット母語映画の創始者とされ、数々の国際映画祭にて受賞歴を持つ映画監督でもある。

収録作品紹介(『風船』訳者解説より一部抜粋)
よそ者
僻地の村を訪れた、謎めいた「よそ者」がドルマという女を探し求めるが、女はなかなか見つからない。登場人物が何かを探し求めるが、それを見出すことができないというこのテーマは、いかにもこの作家らしい。何かがこの世界から失われており、我々はそれを探すが容易には見つけ出すことができず、そうこうするうちにそもそも何が失われてしまっているのか、何を探し求めているかすらもあやふやになっていく。そんな不安な感覚を描きつつも、村人たちと「よそ者」のやりとりを描写する作家の筆致からは巧まざるユーモアが感じられ、登場人物たちに注がれる作家の眼差しはどこか暖かい。

風船
チベットの牧畜民たちの生活を細やかに描写しながら、性と生殖を主題としつつ、羊と人間の関わりを通じて現代チベット女性の苦悩を描いている。幻想性を排除した硬質の文体が印象深い。作品において、羊は、急速な都市化や経済発展の中で失われつつあるチベットの伝統的な生活の象徴としても扱われる一方で、長らく「産む性」としての役割を期待されていたチベット女性たちのメタファーとしての役割も果たしている。

九番目の男
本作品は九つのパートに分かたれ、主人公ヤンツォと彼女の体を通り過ぎていった九人の男たちの物語が次々と展開していく。平易で短い文章をたたみかけていくような文体は、会話が多用される文章構成ともあいまって、どこか民話的とも寓話的とも言える印象を読者に与える。世界に対する好奇心に突き動かされて外の世界に出て、そして最後には世界に対する信頼を失うというヤンツォの経験は、「喪失」というこの作家のテーマとも深く関連するものである。

黄昏のパルコル
ペマ・ツェテンの小説には珍しく、一人称で物語が展開する。とはいえ、物語の語り手である「私」はどうやらラサに長く住んでチベット語を理解できるようになった漢人のようだが、その正体はあまり明らかではなく、主人公というよりは単なる観察者といった役割を担っている。本作品の魅力は、漢語しか話せない漢人旅行者とチベット語しか解さないチベット人老婆とのディスコミュニケーション状況の描写である。拙いながらも唯一のバイリンガルであるチベット人少年が登場しており、状況を逆手にとって事態を自らの思う方向にミスリードしていこうとしているところに妙味がある。漢語で書かれてはいるものの、読者は常にそのやり取りが何語でなされているのかについて自覚的にならざるをえず、単一言語(漢語)による描写の背景にチベット語と漢語が混じりあって響いているのを感じ取ることができる、非常に意欲的な作品といえる。

轢き殺された羊
自ら轢き殺してしまった羊の魂の救済を求めてチベット高原を走り抜ける長距離トラックの運転手を主人公としたロード・ストーリーである。写実的な描写には迫力があり、読者はチベットの田舎道に舞う土ぼこりを身に浴びているような錯覚に襲われるだろう。本書所収の「風船」、前邦訳作品集に収録した「八匹の羊」「タルロ」、さらには本邦未訳の「吾輩は種羊である」など、ペマ・ツェテンは羊の登場する作品を多く発表している。

マニ石を静かに刻む
月明かりの形象が美しく、読後に深い余韻を残す絶品。作中では大酒飲みのロプサンの夢の中での死者たちとの対話が基調となって物語が展開していき、読者は生と死の境界、そして現実と夢幻の切れ目がぼやけていくような感覚を味わうことになる。夢を通じて死者と交流するというモチーフはチベットの伝統に存在するものであり、ペマ・ツェテンも「チベットの読者は、この作品を読んでも作り話だとは思わないかもしれない」と述べている。

三枚の写真から
青少年時代の姿をうつした三枚の古い写真をめぐる作家の自伝的エッセー。三枚の写真のすべてのエピソードに映画と文学が登場しているところがいかにもペマ・ツェテンらしい。幼少時より文学と映画への愛は変わらないのだなと思うとなぜか嬉しい。これまであまり語られてこなかった作家の少年時代のエピソードが語られている貴重な記録である。

2020年9月15日火曜日

20世紀チベットを描く長編歴史小説『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』

 2020年10月、ツェワン・イシェ・ペンバ (
Tsewang Yishey Pemba) の長編小説 White Crane, Lend Me Your Wings: A Tibetan Tale of Love and War の邦訳『白い鶴よ、翼を貸しておくれ チベットの愛と戦いの物語』(星泉訳)が書肆侃侃房より刊行されます。 

 この作品は、20世紀前半の東チベット、ニャロンのとある谷を舞台に、果敢にもキリスト教の伝道にやってきた若きアメリカ人宣教師夫妻とチベットの人びとの出会いと交流、そしてやがて訪れる悲劇と抵抗の戦いを描いた傑作歴史小説です。

 作品の背景や著者について知っていただくために、SERNYA vol. 6 に掲載された同名の記事を公開します。(編集部)

 

英語チベット文学への誘い

   ツェワン・イシェ・ペンバと長編小説

星 泉

チベット現代文学の中の長編小説

 チベット文学に日常的に触れるようになってからというもの、機会があればチベット語の長編小説を読むようにしてきた。ぐいぐい読ませるような長編の物語に巻き込まれるのが個人的に好きなのだ。しかし、チベット語で長編を読むというのは正直ハードルが高く(想像しにくいかもしれないが、チベット語の現代小説には辞書に載っていない単語が多くてたやすく心が折れる!)、誰かに勧められでもしない限り、面白いかどうかもわからない長編に手を出す気にはなかなかなれない。
 そんな筆者にとって、フランスのチベット現代文学研究者フランソワーズ・ロバンがチベットの長編小説を俯瞰で捉えて整理し、歴史的背景も含めて解説した記事(注1)はありがたいものだった。ロバンは、チベット語で書かれた長編小説は他のアジア諸地域と比べてかなり少ないが、それはチベットでは古くから仏教を基盤とした物語が民衆文化の隅々に至るまで浸透していたためであろうと分析していた。
 どうやらチベットでは長編小説はこれから発展していく分野らしい。そこで個人的な関心から、2010年代に出た長編小説も含めて調査することにした。ロバンが取り上げていなかった観点として、出版点数や刷り部数の変化や作家の出身地や男女比、出版地の別などを調査してみた。また、ロバンはチベット語で書かれた長編小説のみを対象にしていたが、漢語で書かれたものも調査したところ、なかなか興味深い結果が得られた(注2)。 


 詳細は別稿に譲るが、そこで筆者が知り得たことは、現代的な意味での長編小説が書かれたのは漢語作品が先でジャンベー・ギャツォ(降辺嘉措)による『菊の花(格桑梅朶)』(1980年、人民文学出版社)である。

 その5年後、ランドゥン・ペンジョル(glang mdun dpal ’byor)による、チベット語で書かれた初の長編小説『トルコ石の頭飾り(gtsug g.yu)』(1985年、西蔵人民出版社)が刊行された。少年の成長物語を柱にラサの1930年代の世相を映し出したこの作品は、高尚なレトリックを知らない一般人でも読みやすく、また物語としての面白さも相俟って当時のラサでブームを巻き起こしたという。



 トンドゥプジャをチベット・アムド地方における現代文学隆盛のきっかけを作った東の雄とすれば、ラサで旗揚げした西の雄ともいえるランドゥン・ペンジョルについて語りたいことは多々あるが、本稿の主題からそれるので先に行こう。

英語で書かれたチベット文学

 そんなわけで、チベット現代文学における長編小説の歴史は1980年より前には遡れないと考えていた。ところが、である。思い込みは必ず覆される。
 2018年の5月、アメリカの東洋史研究者で、ペマ・ツェテン監督の映画に深い関心を寄せる呉淑錦氏が筆者を訪ねてきてくれた。お互いに近況報告をする流れの中、チベットの長編小説に関する筆者の調査について話したのだが、呉氏は筆者の提示するデータを面白がりながらも、こう言ったのだ。

「英語で書かれたチベット文学は入れないの? ジャムヤン・ノルブというチベット人作家が長編小説を書いているよね」

 そうなのだ。確かにジャムヤン・ノルブはシャーロック・ホームズのパスティーシュ小説を3冊書いており、うち1冊は日本語にも翻訳されている(注3)。チベット人による英語の創作活動は視野に入っていなかったわけではないが、今回の調査対象から外していたのは事実だ。
 この日の会話がきっかけとなって、チベット人が英語で書いた長編小説を調べ始めたのである。

ツェワン・イシェ・ペンバとの出会い

 

2017, Niyogi Books

 以前、英語のニュースサイトでチベット人作家による小説がまもなく刊行されるという記事を目にしたことがあった。確か、外科医である著者が書いた小説だったはず。「チベット人、医師、長編小説」というキーワードで記事を探してみたところ、ツェワン・イシェ・ペンバという医師であり作家による『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』という長編小説の刊行に関する記事がすぐに出てきた。ダライ・ラマ6世による有名な「白い鶴よ 翼を貸しておくれ 私は遠くに行くのではない リタンを巡って戻るから」という詩を踏まえた、美しくもどこか悲しみを湛えたタイトルだ。ともかく読んでみようとネットストアで発注し、さらに記事を読み進めていくと気になる一節があった。


1966, Jonathan Cape
 著者は「チベット人として初めて」という称号をたくさん持つ人物であり、そのうちの一つが長編小説を初めて書いた人という称号だというのだ。しかも処女長編小説『道中の菩薩たち』の刊行はなんと1966年。出版地はロンドンである。【写真右】
 チベットで漢語やチベット語による長編小説が出るよりもはるかに前に、チベット人による小説が出版されていた。しかもチベットから遠く離れた地で。衝撃の事実だった。
 なぜそんなことが可能だったのだろうか。そもそも、いったいどんな人物なのだろうか。気になって仕方がなくなった。


ツェワン・イシェ・ペンバについて

 

1957, Jonathan Cape

 ここではツェワンの半生記を含むエッセイ集『少年時代のチベット』【写真左】と、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の冒頭に収録されているシェリー・ボイル(Shelly Bhoil)による解説をもとに紐解いてみよう。
 ツェワン・イシェ・ペンバは1932年、チベットのギャンツェ生まれ。祖父は東チベット・カム地方マルカムの出身、ラバ隊を率いてチベットとインドを行き来する商人だったという。
 その息子であり、ツェワンの父であるペンバ・ツェリンは、親とともにダージリンで暮らした経験から、英語を話すことができ、当時チベットに拠点を置いていたイギリス通商代表部に雇用された(注4)

 ツェワンがギャンツェで生まれたのは父の当時の勤務地だったためである。その後、ブータン国境付近のトモ(亜東とも)に通商代表部の支部が設置されると父は転勤になり、一家でトモに移り住む。ツェワン少年は緑深く温暖なトモの地で幼少期を過ごすことになる。この地で話し上手の祖母と暮らし、たくさんのチベットの物語を語り聞かせてもらった経験が後の創作活動に大きな影響を与えることになる。その後、父はラサに転勤になり、一家で移住し、ツェワンが9歳になるまで過ごす。
 仕事柄、刻々と移りゆく世界情勢を耳にしていた父は我が子に英語教育を施すべきだと考え、1941年、ツェワンをダージリン近くのクセオンにあるビクトリア・ボーイズ・スクールに入学させる。同級生はみなイギリス人で英語には相当苦労したが、ツェワンは生来の賢さで乗り越える。そして1949年、17歳のときに医学をこころざし、故郷を離れ、ロンドン大学に単身留学する。

ツェワン・イシェ・ペンバ

 父から時折届く手紙で、共産党のもとで大きな変化を蒙りつつあるチベットの情勢について知る一方、ロンドンではチベットに対して人々が抱く思い込みや幻想に日々直面して嫌気がさしていた。幻影ではなく、リアルなチベットを知ってほしい。ツェワンのその願いは、後にエッセイ集『少年時代のチベット』として結実することになる。
 ツェワンは1955年に大学を卒業したが、前年、ギャンツェのヤルルン・ツァンポ川流域で起きた大洪水で両親が非業の死を遂げていた。そして当時すでにチベットは事実上、独立を失っており、ツェワンの帰るところはなかった。そんな折、後にブータンの首相となるジグメ・ドルジの依頼を受け、ブータンで初めての西洋医学の病院を建て、自身も医師として働いた。その後、1959年にブータン人の妻ツェリン・サンモとともにダージリンに移住し、当地の病院に勤務する。この年の3月にチベット蜂起が起こり、国境を越えてきたチベット人がインド側に押し寄せてきた。ツェワンは負傷した人々や病気の人々に無償で治療を施し続けたという。そのとき命からがら逃げてきた人々から聞いた話はツェワンの心に深い印象を残し、チベットに起きている悲劇的な状況について、いつか書かねばという思いが強くなっていった。
 その後再び医学の研究を進めるためにロンドンに渡った際に書き上げて1966年に出版したのが、自伝的な要素を含む長編小説の『道中の菩薩たち』である。20世紀初頭のヤングハズバンドのチベット遠征の最前線に立たされたトモや、イギリス通商代表部のあるラサ、そしてインドのダージリンなどを舞台にした、ある一家の激動の数十年間の歴史を描いた小説であり、また主人公が少年から大人へと成長していくさまを生き生きと描いた青春小説でもある。この作品を読んだイギリスの、英語圏の読者たちはどんな印象を受けたのだろうか。
 1967年にロンドンから帰国し、ダージリン、ティンプーで長い間、医師として病院に勤務したツェワンは、2007年、念願のチベット訪問を実現させる。1949年にチベットを離れて以来、初めての訪問であった。ツェワンはチベットの変化に相当なショックを受けたようで、何ヶ月もの間、物思いに沈んでいたという。その後、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の執筆に着手し、東チベット、カム地方ニャロンを舞台に、当地に初めて入った若いアメリカ人キリスト教宣教師一家の物語を一つの柱として、山に抱かれた穏やかな暮らしを営んでいたチベットの人々が故郷を追いやられ、何もかもが崩れ去っていく悲劇の物語を交錯させた大河歴史小説を書き上げた。晩年、肝臓がんを患っていたツェワンは、痛みに耐えながら執筆を続けて完成させ、2011年に亡くなった。ツェワンの悲願だった『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の出版は、没後6年経った2017年に、遺族たちの手によって実現したのである。


二つの文化のはざまで

 チベット人というアイデンティティを持ちながら、イギリスの学校文化の中で青春時代を送り、その後の人生でも二つの文化の間で長い間葛藤してきたツェワンは、仏教とキリスト教について思索を繰り広げていたようである。その思索の跡は『道中の菩薩たち』にも『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』にも見られる。さらに、二つの文化の間を往来した作家として、文化の橋渡しとなるような表現を多用している。英語圏の読者を想定した表現として、ラテン語を引いたり、キリスト教と仏教を対比させたり、イギリスやフランスの古典文学などから引用するなど、異文化理解を助ける細やかな描写が特徴である。その一方で、地の文、会話文にかかわらずチベット語を多用し、チベットらしさを伝えている。この絶妙なバランス感覚はどのように培われたのだろうか。インドのクセオンの学校で学んでいた少年時代の経験と大いに関係があるだろう。学校でヨーロッパの古典に親しみ、科学的知識を学んだツェワン少年は、長い休みのたびにトモに住む敬虔な仏教徒の祖母のもとに帰り、祖母に学校で学んだ知識をぶつけては激論を交わしたという。祖母の確固たるチベットの伝統的な世界観に対抗するには生半可な知識ではかなわず、祖母にはずいぶん鍛えられたと振り返っている。

ツェワン・イシェ・ペンバ作品の価値

 『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』はスリリングなストーリー展開と折々に挟まれるユーモアとで読者を大いに楽しませてくれる作品だ。ツェワンのこの文学的才能は、祖母ゆずりの語り好きであるということと、クセオン時代以降、英語を通じてヨーロッパの様々な文学に親しんだ経験が見事に混ざり合って開花したものであろう。そして著者が行ったこともないはずのニャロンの地で起きた過去の物語を鮮やかに蘇らせるリアルな描写は、著者が1959年以降、長期間にわたり、ダージリンで難民の医療活動に従事しながら耳を傾け続けた貴重な体験に支えられている。ツェワン・イシェ・ペンバの軌跡と、この大河歴史小説の誕生の貴重さを思うと瞠目せざるを得ない。

脚注

(1) Françoise Robin. “Tibetan Novels: Still a Novelty: A Brief Survey of Tibetan Novels Since 1985”, Latse Library Newsletter, vol. 6, pp. 26―45, 2009―2010.
(2) 筆者による口頭発表「長編小説の出版状況から読み解くチベット文学の現在」第64回日本チベット学会大会ワークショップ「チベット学研究のホットスポット」、2016年11月19日、身延山大学。
(3) ジャムヤン・ノルブ著、東山あかね、熊谷彰ほか訳『シャーロック・ホームズの失われた冒険』河出書房新社、2004年。
(4) Tibet and British Raj (Alex McKay, London: Curzon Press, 1997) にも父ペンバ・ツェリンに関する記述が見られる。

付記

本稿は第6回チベット学情報交換会(2018年11月16日、駒澤大学)で口頭発表した内容をもとに執筆したものである。
 
※この記事はSERNYA vol. 6に掲載された同名の記事をほぼそのまま掲載しています。写真は一部割愛し、書影を一部追加しました。(2020年9月12日記

2019年2月25日月曜日

国際シンポジウム「チベット文学と映画制作の現在」(再追記あり)


【御礼】おかげさまで90名以上の方々にお集まりいただき、盛会のうちに終えることができました。ご参加くださったみなさま、告知にご協力くださったみなさま、どうもありがとうございました。報告の一部はSERNYA次号に掲載予定です。ご期待ください。(2019年3月20日)

来る3月15日(金)〜17日(日)の3日間、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(AA研)にて、国際シンポジウム「チベット文学と映画制作の現在」を開催します。チベットにおける文学と映画の現状について語り合う一般公開のシンポジウムですので、お誘い合わせの上、どうぞお気軽にお越しください。なお、ご参加くださった方にはもれなくSERNYA最新号(第6号)をプレゼントいたします。

【お詫び】3月16日に登壇予定だったラシャムジャ(拉先加)さんは都合により不参加となりました。楽しみにしてくださっていた皆さまには大変申し訳ございません。現在のところ開始時間は変更せず、プログラムを前倒しして実施する予定です。さらなる変更がある可能性もありますので、ご参加される前に本ページをご確認いただければ幸いです。(2019年3月9日)

日時:2019年3月15日〜17日

(15日は17:00から、16・17日は10:50から)
場所:東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所3階大会議室

使用言語:日本語・チベット語(日本語通訳あり)
主催:多言語・多文化共生に向けた循環型の言語研究体制の構築(LingDy3)
参加費:無料 
要申込お申込みページ(LingDy3サイトに移動します) 

(準備の都合上、できるだけ事前にお申し込みください。)


2017年4月8日土曜日

『黒狐の谷』刊行記念座談会〜桜の樹の下には、けだるいチベット文学翻訳家たちがいる〜

外国文学好きの茶人、佐倉舞(さくら・まい)さんのお招きで、満開の桜のもと開かれた「野点の会」にチベット文学研究会一同、参加してきました。当日の座談の記録をまとめましたのでどうぞお読みください。

茶人・司会:佐倉舞
チベット文学研究会:海老原志穂 大川謙作 星泉 三浦順子



2017年3月23日木曜日

チベット映画傑作選@大阪第七藝術劇場

『草原の河』公開記念 〜ソンタルジャとの出会い〜

©GARUDA FILM
この春、チベット人監督作として初めて日本で劇場公開されるソンタルジャ監督の『草原の河』。その公開を記念して、チベット映画の秀作を大阪・第七藝術劇場にて上映します。監督のデビュー作『陽に灼けた道』をはじめ、チベット人監督の第一人者であり、ソンタルジャ監督より一足先に国際舞台で活躍しているペマ・ツェテン監督の『ティメー・クンデンを探して』を上映するほか、新進気鋭のカシャムジャ監督によるドキュメンタリー『英雄の谷』、そして「チベット牧畜民の仕事展」で好評を博したドキュメンタリー『チベット牧畜民の一日』も上映。昨年日本で公開されて大好評だったチャン・ヤン監督による『ラサへの歩き方〜祈りの2400km』も上映します。
チベット文化を深く知ることのできる作品の数々、ぜひこの機会にご鑑賞ください。

2017年3月17日金曜日

TUFS Cinema チベット映画特集

『草原の河』公開記念 〜ソンタルジャとの出会い〜

この春、チベット人監督作として初めて日本で劇場公開されるソンタルジャ監督の『草原の河』。その公開を記念して、チベット映画の秀作を東京外国語大学にて上映します。監督のデビュー作『陽に灼けた道』をはじめ、チベット人監督の第一人者であり、ソンタルジャ監督より一足先に国際舞台で活躍しているペマ・ツェテン監督の『ティメー・クンデンを探して』、『オールド・ドッグ』(2011年東京フィルメックス最優秀作品賞受賞作)を上映するほか、「チベット牧畜民の仕事展」で好評を博したドキュメンタリー『チベット牧畜民の一日』も同時上映。いずれも日本では上映されることの少ない貴重な作品です。チベット文化を深く知ることのできる映画の数々、ぜひこの機会にご鑑賞ください。